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僕のオーディオ遍歴

僕のプチオーディオ遍歴写真記録。


中学時代のオーディオセット

オーディオ趣味をやり出したのは中学1年生の時だったと思う。
僕のオーディオ趣味の発端はダンボールスピーカーだ。

街中に廃棄されている大型テレビから取り出したスピーカーユニットを裸のままラジオに無理矢理に接続して聞いていた。それでも、もとのラジオの小さなスピーカーよりはずっといい音で気に入っていた。ある日、友人からスピーカーをダンボールに入れると音が良くなると聞き、さっそくやってみる。と、あらまあ、びっくり、今まで聞こえなかった低音も出ている。音のふくらみが全然違う。この驚きがオーディオ趣味の原動力になっているように思う。

その後、色々なスピーカーユニットを拾って来てはダンボール箱や木箱に適当に入れて鳴らしてみたりと、とても楽しい日々が続いた・・



高校時代のオーディオセット

高校時代になって、大きく僕のオーディオは進化した。それは、アルバイトが出来るようになりオーディオ資金が桁違いに拡大したからだ。廃棄品から取り出したスピーカーユニットではなく、ちゃんと購入したスピーカーユニットだ。初めて買ったスピーカーユニットはコーラルと言うメーカー(今は無くなってしまった)のFLAT8という口径20cmのフルレンジスピーカーだ。エンクロージャーは家具屋さんに図面を見せて作ってもらった。そして、その後、ユニットは同じくコーラルのBETA8、フォステクスのFE203へと変遷した。

アンプも部品を購入して作った。まともに鳴った最初のアンプは6BQ5という5極管のシングルステレオアンプだ。その後6CA7のアンプ。そして2SD188/A627によるトランジスタDCアンプなどを作った。高校時代は僕のオーディオ成長期だった。

高校時代の僕の部屋:当時は、こんなごちゃごちゃした雰囲気が好きだった。

ちなみに音楽のジャンルは色々。バッハから松田聖子まで。松田聖子のレコードは(アルバムもシングルも)全て持っていた。しかも気に入ったアルバムは磨り減ってしまうので2枚づつ持っていた。それと松田聖子の全ての写真集も持っていた。何故か2冊づつ持っていた。まあ、どうでもいいことだけど松田聖子の親衛隊をやっていた。

さらに、どうでも良い話を少し続けと、僕は松田聖子ファンだった、と言うよりは信仰に近いレベルだった。聖子ちゃんを超える女性はこの世には存在しないとまで当時は思っていた。だから布教活動にも励んだ、僕の主な布教活動は、放送局や有線に、聖子ちゃんの曲をリクエストしまくることだ。出来るだけ多くの人に聖子ちゃんの曲を聴いてもらいたかったのだ。だけど、このやり方には限界があった。特に有線では、1日に何回も、しかも毎日電話するのでクレーマー扱いされるようになってしまった。
で、仕方ないので、松田聖子専門の放送局を作ることにした。放送局といっても、もちろん正式な放送局ではない。FM大阪とNHK-FMとの間の適当な空いている周波数に勝手に電波を発射するのだ。必死で勉強して送信機を作った。FM放送帯域の周波数を扱える高価な高出力送信管(電波を出すための真空管)はとても買えなかったので、近所のゴミ捨て場に廃棄してあるカラーテレビから取り外した水平偏向出力管を流用した。今考えたら、無茶いい加減な送信回路だが、いちおうできた。見よう見まねで作ったいい加減なアンテナもできた。いい加減な送信機といい加減なアンテナとのマッチングに苦戦したが、なんとか電波を空中に発射できるようになったのだ。これで松田聖子の曲を思い存分放送できる。
レコードを120分のカセットテープにダビングし、それを音源として放送した。僕は自分で放送している曲を、出来るだけ離れたところで、自分で聞くのがとても大好きだった。チャリンコ(自転車)のカゴにポータブルラジオを入れて、家から数キロは離れた久宝寺緑地という大きな公園の橋(道路を渡る大きながある)の上まで行き、そこで、空を見上げながら、自分の家から放送している聖子ちゃんを聞いた時の幸福感は今も忘れられない。でも、この幸福感に長く浸る訳にはいかなかった。テープが終わりに近づくと、チャリをフルスピードで転がして家に帰り、カセットテープを交換しなければならないのだ。そうしないと、曲が途絶えてしまい、リスナーの皆に迷惑を掛けてしまう。と思ったりしたのだ。僕以外のリスナーが、はたして居たのかは不明だが。
(注:勝手に電波を発射するのはもちろん電波法違反です。もう、とっくに時効ということで書きました。)


話をオーディオに戻すと。
高校時代に大阪日本橋のオーディオ専門店(ニノミヤオーディオファイブという店があった)でJBL4343という大型モニタースピーカーのあまりにもリアルで躍動感のある音を聴いて衝撃を受けた。何度もその店に行っては聴いた記憶がある。喉から手が出るほど欲しかったが、高校生がアルバイトで買える値段の品物ではなかった。


おまけ:
高校時代に友人達とフルレンジスピーカー試聴会をやったときの友人(S氏)手作りパンフレットより。

今となったら大昔の出来事。
でも楽しい想い出の1つとして記憶に残っている。




大学時代のオーディオセット

大学前半時代のオーディオセットは高校時代のものを殆どそのまま持って行ったもの。
スピーカーユニットをコーラルのFLAT8からBETA8へ、そしてFOSTEXのFE203に変更したぐらい。FE203に変更した理由はBETA8が破損(DCアンプ不良によるDC垂れ流しによる)したのをきっかけにFOSTEXを使いたくなったからだ。ボックスはそのまま無理やり流用。

アパートは千葉にある激安アパート。なぜ千葉かというと東京は高すぎて住めなかったからだ。このアパート、家賃9800円というバーゲンセールのような価格だ。4畳半一間のフロなしでトイレも共用だ。でも当時、東京近辺の学生アパートの家賃は通常4〜5万程度だったから、激安物件だ。

狭いのでスピーカーは棚の上に上げた。上からの音はやっぱり変だった。タンノイのステッカーは貼っているだけで、中身はフォステックスだよ。学部生時代は興味がオーディオ以外にもPCやら飲み会やらアルバイトやら怪しげなサークル活動やら・・と広がり、オーディオ趣味に注ぐ時間は少なかった。

話は突然ずれるが、僕はビキニ水着フェチなので、この当時、「うる星やつら」というアニメのトラ縞ビキニ水着をいつも着ているラムちゃんというキャラクターがとてもお気に入りだった。

話は更にずれるが。
この時に、ちょっとはまっていたマイコン製作遊び。
CPUはザイログ社のZ80という8bitのもので、OSはデジタルリサーチ社のCP/Mというやつ。
FD(フロッピー)を読み込むブートプログラムから手作りしなければならなかった。
フロッピーを読んだり基本的なテストプログラムを動かしただけで満足してしまい
特に何の実用もしなかった。たくさんの手間と時間を掛けたのだが・・

更に更に余談だけど。
実は、デジタルリサーチ社って、かのマイクロソフトよりも勢いのある時期もあったのだ。
マイクロソフトとのOS競争(MS-DOSとCP/Mとの戦い)に見事に敗れ、今は何の跡形も無くなくなってしまった。
天才技術者であり創業者のゲイリー・キルドール氏も謎の死を遂げ、今はこの世にいない。
これも時代の流れというやつだろうか・・




大学院時代のオーディオセット

奨学金がもらえるようになったり、ちょっと高収入のアルバイトにめぐり合えたりして、経済的に少しゆとりが出来てきた。それと、少し広めのアパートに引越ししたこともあり、またオーディオをやりだした。といっても安価なもを寄せ集めたシステムだ。昔、体験したJBL4343の音が忘れられず、4343に使われていた38cmウーハーJBL2235Hの中古品を秋葉原のショップに通い続けて入手した(通い続けた甲斐があり、表示価格の半値で売ってもらった)。ミッドロー(スコーカー)は厳選した結果、コーラル製8A-70を採用。ツイーターはYAMAHA のJA0506mk2。

この時代住んでいたアパートは古い鉄筋コンクリート造りの4階建て2LDKだ。数年後に解体予定であったため大分安く入居できた。古いが、がっしりとした造りの建物だったのでとても気に入っていた。また、僕の部屋は角部屋で、隣は法人入居で殆ど無人、しかも僕の上の部屋は未入居だったこともあり大音量でオーディオを満喫することが出来た。パワーアンプがオーバヒートしてしまうので扇風機で冷却しながら、聴いていたのが懐かしい。


夜、少し暗めの白熱照明の中、JBLの大口径スピーカーでジャズを聴きながらバレンタインを飲むというのを昔から一度はやりたかったので、とうとうやった。僕の僕による僕のため演出だ。バレンタインは僕の指導教授から頂いたもの。何年ものかは忘れた。


ツイーターを一番上に置くと、高音があまりにも上から聞こえ不自然なので、ウーファーとスコーカーの間にツイーターを設置すると、だいぶんまとまった音になった。

大学院2年目あたりから、マルチアンプシステムにハマリ始めた。日々、チャンネルデバイダーのフィルタ定数の調整やOPアンプの変更やらをやっていた。でも結局、気に入ったマルチアンプシステムにはならなかった。本来の音楽を楽しむとを忘れてしまい、なんか本末転倒だった気がする。

今、振り返ると、当時は高次のフィルタでシャープにカットオフすることに拘り過ぎていたように思う。シャープにフィルタリングすればするほど位相遅れ(周波数により異なる時間遅れ)が生じてしまう。これが、まとまりの無い雑な感じの音になってしまった原因なのだろうと推測できる。


ちなみに、これが、当時、アンプやフィルターの設計に使用していた科学計算用コンピュータ。
今時のパソコンと比べると桁違いの寂しいCPU能力。でも、それはそれでとても便利だった。





独身寮時代のオーディオセット

6畳一間なので大きなスピーカーは置けない。
シンプルな2wyaとした。ネットワークも超シンプル構成とした。
このスピーカボックスは今でも時々愛用している。


手作りの真空管アンプとDCアンプを比較試聴。
結果、真空管アンプをメインとして愛用した。



ちなみに単身寮での僕の部屋のイラスト。
結婚前の長距離交際時代に妻から「どんな部屋で暮らしてるの?」という質問に答えて
手紙に描いたもの。6畳部屋だった。備え付け2段ベッドがあり上で寝ていた。懐かしい。
妻がまだ持っていたのでスキャンしたのです。

今見ても、わりと正確に描けていると思う。



現在のメインオーディオセット

今のリスニングルーム(と言っても寝室と兼用)のオーディオセット。
極めてシンプルなものものだ。



いつも好奇心旺盛なうちの猫。


スピーカの上で音楽を聴くみかん(うちの愛猫)。
これがみかん流の音楽の聴き方。

(2007/11/20)



おまけ

友人の工場(いわゆる町工場)で、何故かバーベキューをやりながら試聴会。
写真のスピーカーはFOSTEX10cmユニット使用の友人手作り品。

(大学時代、大阪に帰省した時、友人の工場にてBBQ試聴会)

 

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